アンパンマンってデュラハンだよね
- 2013/09/12
- 14:54
今日のゲストはデュラハン。
ファンタジーフリークの方はよくご存じと思われるが、本日はアンデット界の重鎮イケメン枠のデュラハンについての考察をしたいと思う。
デュラハンとは?

デュラハン(Dullahan, Durahan, Gan Ceann )とは、アイルランドに伝わる首のない男の姿をした妖精。女性の姿という説も存在する。
コシュタ・バワー(Cóiste-bodhar)という首無し馬が引く馬車に乗っており、片手で手綱を持ち、もう一方の手には自分の首をぶら下げている。バンシー(banshee)と同様に「死を予言する存在」であり、近いうちに死人の出る家の付近に現れる。そして戸口の前にとまり、家の人が戸を開けるとタライにいっぱいの血を顔に浴びせかける。自分の姿を見られる事を嫌っており、姿を見た者はデュラハンの持つ鞭で目を潰される。だが、コシュタ・バワーは水の上を渡る事が出来ないので、川を渡ればデュラハンの姿を見ても逃げられる。
また、一部でデュラハンは「首なし騎士」とも呼ばれ、文字通り首の無い騎士の姿をして、首無し馬に跨ったアンデッドとして描かれており、やはり「死を予言する者」、または死神のように、人間の魂を刈り取る存在として扱われている。 ――wiki参照
デュラハンはその性質故、日本では主に死神(或いはアンデット)のようなものとして扱われている。これは日本のファンタジー界隈全般で非常によくみられる光景であり、それになぞらえる形で様々な創作物でそのように取り扱われてきた。だが、本来の性質はwikiに記述されている通り妖精である。
このような性質の偏りは『死』や『災害』を司る偶像によく見られる。彼らはあくまで預言者であり、時としてその災いに対する助言すら与える。だというのに彼らのイメージには本来のそれと真逆の『死』や『災い』自体の印象が付きまとっている。これは日本における件や稲荷神にも見られる凶兆を予知する存在の宿命とも言える側面である。彼らは災禍を伝えるが故、同時にその災禍を引き起こしているという側面が付随する。
本来それはまったく別の現象であるにも関わらず、結果としてその二つの性質を持つと仮定される事で前述した彼らはそれ自体を司る存在としての立ち位置を獲得することとなる。
このような現象は妖怪や狐に限った話ではなく、優れた先見の明をもつ者やそのコミュニティではまったく異質の知識を持った者が周囲の人間から不気味がられる、或いは事件の原因に仕立て上げられる事と酷似している。
これは原因の所在を単純化しようとする余り、まったく関係のない『誰か』を原因と仮定して強引に解決しようとしてしまう、ストレス下における人間の本能的行動である。これは儀式における生贄の性質に根本的に近しい。
現代社会においても隣国の反日活動の多くは『日本』を原因とし、糾弾する事で、内部のストレスを誘導する現象が多く見受けられる。だがそれが、彼らにとって本来の問題の直接的解決に繋がるかどうかはまったく別の問題だ。
映画などで確固とした『預言者』としての立ち位置が得られなかった予知者が「お前が来てから村がおかしくなっちまった!!!」と村人に家を焼かれたりするのは良くある事である。
死を伝える者⇒その者の死を知っている者⇒その者を殺害しようとしている張本人。
実に単純なロジックだが伝承とは常に視覚的にシンプルな形で伝達される。内包される本来の性質を理解している者の多くはそのコミュニティの老人達であり、それが外界に持ち出される場合、異文化の伝承は旅人達の舌の上でエキセントリックな側面が強調され伝えられる。受け手となる者達は自分達の文化に見られるもっともそれに似た姿のものを受け皿にしてその伝承を理解しようと努める。
上記のwikiを読んでいただければ分かる事だが、本来のデュラハンは騎士ではなく、それらしい武具も身に着けておらず愛馬は水に入れない(←可愛い)
その本来のTシャツ系デュラハンに前述した単純なロジックを視覚的に分かり易く組み込む。
死を伝える者⇒その者の死を知っている者⇒その者を殺害しようとしている張本人。
⇒殺害する⇒武器を持っている(斧や剣)⇒馬上で剣を携えている⇒騎士。
これはあくまで推測だが、死を与える者としてのイメージを強調した際、このような視覚的変化を起こしたのではないかと私は考察する。古来より死を与える形は剣や牙の形をしているものである。
そんな半ば違う部署に異動させられる形で死神的存在となったデュラハンだが、現代日本においてはもっと訳の分からない仕事をさせられている。
あらかじめ述べておくが、『現代』が伝説や伝承における終着点ではないのだ。伝説達は現代においても尚、その容貌や役割を変化させながら今に生きている。根源的な性質や教訓は文献や学者達の手によって後の世に引き継がれ、ビジュアル的な側面とそれに付随するイメージは常に大衆によって形作られてきた。
現代の日本における稲荷神のイメージを、後世の歴史学者が調べたとしたら確実にこの時代でお稲荷様が金髪ケモミミの美少女のイメージで爆増している事が明らかになるだろう。最近は狛犬も美少女になる。
未来の日本人は言うだろう。
『我が国の神々の間で、21世紀において男女問わず美少女化するのが流行っていたのは明らか』
誇らしいですね。(ホルホル)
歴史的遠近法のを通して覗けば、皆さんの創作物が現在進行系で神々や妖怪、伝承生物の新たな側面や偽りない日常を描いているのだ。その事実は私たちに新鮮な感動をもたらす。
彼らはそういう意味で、確かに我々とともに現代に生きているのである。
では最後に現代のデュラハンをご紹介。
奥多摩のハイウェイに出没する首なしライダーとライトノベルを受け皿に誕生、デュラララ!!から首無し美少女セルティ(ん?)
CDから誕生、コンテンツとして瀕死のモンスターファームからデュラハン!

あんことイースト菌から誕生、アンパンマン!

アンパンキメて誕生、魍魎の武丸ぅ!!!

ファンタジーフリークの方はよくご存じと思われるが、本日はアンデット界の重鎮イケメン枠のデュラハンについての考察をしたいと思う。
デュラハンとは?

デュラハン(Dullahan, Durahan, Gan Ceann )とは、アイルランドに伝わる首のない男の姿をした妖精。女性の姿という説も存在する。
コシュタ・バワー(Cóiste-bodhar)という首無し馬が引く馬車に乗っており、片手で手綱を持ち、もう一方の手には自分の首をぶら下げている。バンシー(banshee)と同様に「死を予言する存在」であり、近いうちに死人の出る家の付近に現れる。そして戸口の前にとまり、家の人が戸を開けるとタライにいっぱいの血を顔に浴びせかける。自分の姿を見られる事を嫌っており、姿を見た者はデュラハンの持つ鞭で目を潰される。だが、コシュタ・バワーは水の上を渡る事が出来ないので、川を渡ればデュラハンの姿を見ても逃げられる。
また、一部でデュラハンは「首なし騎士」とも呼ばれ、文字通り首の無い騎士の姿をして、首無し馬に跨ったアンデッドとして描かれており、やはり「死を予言する者」、または死神のように、人間の魂を刈り取る存在として扱われている。 ――wiki参照
デュラハンはその性質故、日本では主に死神(或いはアンデット)のようなものとして扱われている。これは日本のファンタジー界隈全般で非常によくみられる光景であり、それになぞらえる形で様々な創作物でそのように取り扱われてきた。だが、本来の性質はwikiに記述されている通り妖精である。
このような性質の偏りは『死』や『災害』を司る偶像によく見られる。彼らはあくまで預言者であり、時としてその災いに対する助言すら与える。だというのに彼らのイメージには本来のそれと真逆の『死』や『災い』自体の印象が付きまとっている。これは日本における件や稲荷神にも見られる凶兆を予知する存在の宿命とも言える側面である。彼らは災禍を伝えるが故、同時にその災禍を引き起こしているという側面が付随する。
本来それはまったく別の現象であるにも関わらず、結果としてその二つの性質を持つと仮定される事で前述した彼らはそれ自体を司る存在としての立ち位置を獲得することとなる。
このような現象は妖怪や狐に限った話ではなく、優れた先見の明をもつ者やそのコミュニティではまったく異質の知識を持った者が周囲の人間から不気味がられる、或いは事件の原因に仕立て上げられる事と酷似している。
これは原因の所在を単純化しようとする余り、まったく関係のない『誰か』を原因と仮定して強引に解決しようとしてしまう、ストレス下における人間の本能的行動である。これは儀式における生贄の性質に根本的に近しい。
現代社会においても隣国の反日活動の多くは『日本』を原因とし、糾弾する事で、内部のストレスを誘導する現象が多く見受けられる。だがそれが、彼らにとって本来の問題の直接的解決に繋がるかどうかはまったく別の問題だ。
映画などで確固とした『預言者』としての立ち位置が得られなかった予知者が「お前が来てから村がおかしくなっちまった!!!」と村人に家を焼かれたりするのは良くある事である。
死を伝える者⇒その者の死を知っている者⇒その者を殺害しようとしている張本人。
実に単純なロジックだが伝承とは常に視覚的にシンプルな形で伝達される。内包される本来の性質を理解している者の多くはそのコミュニティの老人達であり、それが外界に持ち出される場合、異文化の伝承は旅人達の舌の上でエキセントリックな側面が強調され伝えられる。受け手となる者達は自分達の文化に見られるもっともそれに似た姿のものを受け皿にしてその伝承を理解しようと努める。
上記のwikiを読んでいただければ分かる事だが、本来のデュラハンは騎士ではなく、それらしい武具も身に着けておらず愛馬は水に入れない(←可愛い)
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その本来のTシャツ系デュラハンに前述した単純なロジックを視覚的に分かり易く組み込む。
死を伝える者⇒その者の死を知っている者⇒その者を殺害しようとしている張本人。
⇒殺害する⇒武器を持っている(斧や剣)⇒馬上で剣を携えている⇒騎士。
これはあくまで推測だが、死を与える者としてのイメージを強調した際、このような視覚的変化を起こしたのではないかと私は考察する。古来より死を与える形は剣や牙の形をしているものである。
そんな半ば違う部署に異動させられる形で死神的存在となったデュラハンだが、現代日本においてはもっと訳の分からない仕事をさせられている。
あらかじめ述べておくが、『現代』が伝説や伝承における終着点ではないのだ。伝説達は現代においても尚、その容貌や役割を変化させながら今に生きている。根源的な性質や教訓は文献や学者達の手によって後の世に引き継がれ、ビジュアル的な側面とそれに付随するイメージは常に大衆によって形作られてきた。
現代の日本における稲荷神のイメージを、後世の歴史学者が調べたとしたら確実にこの時代でお稲荷様が金髪ケモミミの美少女のイメージで爆増している事が明らかになるだろう。最近は狛犬も美少女になる。
未来の日本人は言うだろう。
『我が国の神々の間で、21世紀において男女問わず美少女化するのが流行っていたのは明らか』
誇らしいですね。(ホルホル)
歴史的遠近法のを通して覗けば、皆さんの創作物が現在進行系で神々や妖怪、伝承生物の新たな側面や偽りない日常を描いているのだ。その事実は私たちに新鮮な感動をもたらす。
彼らはそういう意味で、確かに我々とともに現代に生きているのである。
では最後に現代のデュラハンをご紹介。
奥多摩のハイウェイに出没する首なしライダーとライトノベルを受け皿に誕生、デュラララ!!から首無し美少女セルティ(ん?)

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