祝☆来客数6人★ 【感動をありがとう】
- 2013/08/30
- 10:08
2013年の夏も、暦の上ではもう終わりにさしかかっている今日この頃。
ですが日本列島はまだまだうだるような暑さに包まれています!
祝☆来客数6人★
そうです!ついにこのブログの来客数が六人を越えました!いやぁついに大台に乗ってしまいました^^;
このままでは沖ノ鳥島の人口を越えるのもそう遠い未来ではないかもしれません(←オイオイ)
思えばこのブログも長い事続いたものです。
今日は私めのブログのちょっとした歴史といいましょうか、少し大げさですね(笑)記録のようなものを綴っていこうと思います!(^o^)/
このブログが出来るまで~
このブログが始まった当初、私はまだ漁師でした。
今にして思えばあの頃が一番充実していたかもしれません、なんにせよ口下手だった私は都会の喧騒やしがらみに巻かれるよりも、海と戦っている方が性にあっていたんです。
冬の日本海は今にも夢に出ます、ともすれば私を殺そうとしていたあの荒波は、思えばそれ故に生きろと語りかけていました。これは私の思い違いや妄想の類ではないです。暴力的な自然のありのままの姿は、ありのままの自分、私自身の剝き出しの魂とでも言うべき部分を饒舌にさせるんです。自然由来の苦しみや痛みの連鎖の中では、 普段言葉に埋もれてしまう小さな私自身の声に耳を澄ます事が出来たんです。
当たり前なんですよ、誰だって死にたくない。なのに周囲の心無い言葉やストレスに追い詰められると私達は「死にたい」と呟いてしまうんです。これって変ですよね。こんなに生きたいのに言葉はまるで反対の事を口にしている。
ふと社会に目をやると、それは私だけの悩みではありませんでした。誰もが同じように生きたいが故に死にたいと口にし、泣いていました。私たちはこの狭い日本で、押しつぶされそうだったんです。
本当は死にたいんじゃない、「ここじゃない何処かに行きたいんだ」。友人の優しさにすら苦しむ少年が言っていました。
私は考えました、自分にも、何か出来る事があるんじゃないか?と、そこでFC2ブログに出会いました。電子の海、海。海ならば、私の技術が生かせるかもしれない。そうだ!ネットも日本海も大きな違いはない。漁師にしか出来ない、漁師だからこそ助けられる、そんな人がいるかもしれない。
そう思って、このブログを始めました。
挫折と航海~
ブログを始めるにあたって一番の問題は端末でした。船の上にはフレッツ光が届かなかったんです。光が届かない、そういう意味では船上は深海となんら変わりありません。この事は大いに私を苦悩させました。これが後に私の人生をも左右する大きな転機を招く事になります。
様々な試行錯誤の日々が続きました。ですが、どうにも漁船とインターネットの相性はよくありません。カジキが窓を突き破ってデスクトップを貫く事もありました。網を引き揚げている際に、なんとスマホがかかっている! しかも自分の機種と同じやつだ!誰か溺れたのか!?と急いで引き揚げるとそのスマホはポケットから零れた私のものだった、なんて事もありました(笑)
本当に辛かったのは電気系統がショートして漁船が爆発した時でした。
そうです、私の半身とも言える漁船を、私はこの時失ったのです。気が遠くなりました。
何の準備もないままに再び陸に上がった私は、言わば何も分からない子供同然。生まれたての小鹿。
そして、独りぼっちでした。
孤独な漁師から見た日本~
海から上がった私が目にしたのは東京のあまりにも無機質な街並でした。通行人は誰しもスーツやタキシードに身を包み、婦女子はおシャンティなコーデで着飾っていた。対する私の出で立ちは水産用合羽にゴム長、銛という典型的な水産業コーデです。予想していた事ではありましたが、やはり東京は私を拒絶しました。
私が持参したスズキもマダイも、この街では通貨として通用せず、その事からも察せるように東京に河童はいませんでした。
既にこの街では数百年も前に河童は絶滅してしまったのだと、老人は言っていました。
何もかも通じないこの街、とある郊外の公園で私はついに膝を折りました。最早呆然と、あたかも熱病に浮かされるように、支度金代わりに持ってきたキュウリの束にむしゃぶりつきました。
きゅうりには、栄養がない。ビタミンCの吸収を阻害する効果まであるという。以前、この事を旧知の河童に伝えた事がありました。かねてからキュウリ以外のものを口にしない彼の健康を案じての事でした。
『知ってる』
知っているのなら何故?と私は詰め寄ります。彼は私の手からキュウリをひったくってこう続けたんです。
『毒を食らわば、皿まで』
お前が、それを言うのか。あの日の私は腹を抱えて笑ったものです。最後のキュウリを口に放り込んだ時、その時の彼のはにかむような笑みを私は思い出しました。
きゅうりには―――身体を冷やす効果がある。 be cool. 何より、美味い。and hot!
東京の河童は絶滅したかもしれない、それも一つの真実です。けれども東京の私はまだ絶滅していない。生きてる。今ここにいる。それも、確かな真実でした。私はまだ何も始まっていない。
公園の歯医者の看板に銛を叩きつけると、銛の穂先は容易に看板を貫きました。
なぁんだ、ここも海と変わらないじゃないか。
私はそう思いました。この時すでに心の改革は始まっていたんです。
心の改革と気功~
東京でのリャン先生との出会いは私の人生観を根底から揺るがすものでした。皆さんにまず言っておきたい事は、気功法とは決して難しい方法ではないという事です。動作も簡単なやさしい健康法です。そして、自分に合った、自分の好きな方法を毎日繰り返し続ける事によって、必ず心と身体の両方にいい変化をもたらします。
その昔の中国では、皇帝も詩人もお医者さんも仏教の御坊さんも儒教の孔子さんも道教の仙人もみ~んな気功法を利用していました。
毛沢東の時代になってしばらく社会の表面から消えましたが、その毛沢東自身は気功法を実践して長生きをしました。
気とはつまり命のことです。ですからそれは様々な表われ方をします。寿命の長い人、短い人、気の強い人、弱い人、病気になる人、ならない人、いい人生をおくる人、そうでない人、人の生き方はまったく個人によってさまざまです。
そのさまざまなことの中に、全て気が関係しているとしたら、どうでしょうか?運の良い人、悪い人、そういう事の中にも気が関係してくるんです。
気の事を良く知ると、そういう様々な行いがすべて気、つまり生命エネルギーを使って行われていることが分かってきます。雑念や心配事に気を遣うと、それだけ楽しみの為に使う気の量は減っていきます。
このブログでは私を通じて、リャン先生が先人達から学びそして洗練してきた中国気功法の最新技術をお伝えしていきます。
最後に、気とは命のエネルギーであり、そしてそれは地球からお借りしているものだという事を考えてみて下さい。
気とは生命のエネルギー、それでは。
ですが日本列島はまだまだうだるような暑さに包まれています!
祝☆来客数6人★
そうです!ついにこのブログの来客数が六人を越えました!いやぁついに大台に乗ってしまいました^^;
このままでは沖ノ鳥島の人口を越えるのもそう遠い未来ではないかもしれません(←オイオイ)
思えばこのブログも長い事続いたものです。
今日は私めのブログのちょっとした歴史といいましょうか、少し大げさですね(笑)記録のようなものを綴っていこうと思います!(^o^)/
このブログが出来るまで~
このブログが始まった当初、私はまだ漁師でした。
今にして思えばあの頃が一番充実していたかもしれません、なんにせよ口下手だった私は都会の喧騒やしがらみに巻かれるよりも、海と戦っている方が性にあっていたんです。
冬の日本海は今にも夢に出ます、ともすれば私を殺そうとしていたあの荒波は、思えばそれ故に生きろと語りかけていました。これは私の思い違いや妄想の類ではないです。暴力的な自然のありのままの姿は、ありのままの自分、私自身の剝き出しの魂とでも言うべき部分を饒舌にさせるんです。自然由来の苦しみや痛みの連鎖の中では、 普段言葉に埋もれてしまう小さな私自身の声に耳を澄ます事が出来たんです。
当たり前なんですよ、誰だって死にたくない。なのに周囲の心無い言葉やストレスに追い詰められると私達は「死にたい」と呟いてしまうんです。これって変ですよね。こんなに生きたいのに言葉はまるで反対の事を口にしている。
ふと社会に目をやると、それは私だけの悩みではありませんでした。誰もが同じように生きたいが故に死にたいと口にし、泣いていました。私たちはこの狭い日本で、押しつぶされそうだったんです。
本当は死にたいんじゃない、「ここじゃない何処かに行きたいんだ」。友人の優しさにすら苦しむ少年が言っていました。
私は考えました、自分にも、何か出来る事があるんじゃないか?と、そこでFC2ブログに出会いました。電子の海、海。海ならば、私の技術が生かせるかもしれない。そうだ!ネットも日本海も大きな違いはない。漁師にしか出来ない、漁師だからこそ助けられる、そんな人がいるかもしれない。
そう思って、このブログを始めました。
挫折と航海~
ブログを始めるにあたって一番の問題は端末でした。船の上にはフレッツ光が届かなかったんです。光が届かない、そういう意味では船上は深海となんら変わりありません。この事は大いに私を苦悩させました。これが後に私の人生をも左右する大きな転機を招く事になります。
様々な試行錯誤の日々が続きました。ですが、どうにも漁船とインターネットの相性はよくありません。カジキが窓を突き破ってデスクトップを貫く事もありました。網を引き揚げている際に、なんとスマホがかかっている! しかも自分の機種と同じやつだ!誰か溺れたのか!?と急いで引き揚げるとそのスマホはポケットから零れた私のものだった、なんて事もありました(笑)
本当に辛かったのは電気系統がショートして漁船が爆発した時でした。
そうです、私の半身とも言える漁船を、私はこの時失ったのです。気が遠くなりました。
何の準備もないままに再び陸に上がった私は、言わば何も分からない子供同然。生まれたての小鹿。
そして、独りぼっちでした。
孤独な漁師から見た日本~
海から上がった私が目にしたのは東京のあまりにも無機質な街並でした。通行人は誰しもスーツやタキシードに身を包み、婦女子はおシャンティなコーデで着飾っていた。対する私の出で立ちは水産用合羽にゴム長、銛という典型的な水産業コーデです。予想していた事ではありましたが、やはり東京は私を拒絶しました。
私が持参したスズキもマダイも、この街では通貨として通用せず、その事からも察せるように東京に河童はいませんでした。
既にこの街では数百年も前に河童は絶滅してしまったのだと、老人は言っていました。
何もかも通じないこの街、とある郊外の公園で私はついに膝を折りました。最早呆然と、あたかも熱病に浮かされるように、支度金代わりに持ってきたキュウリの束にむしゃぶりつきました。
きゅうりには、栄養がない。ビタミンCの吸収を阻害する効果まであるという。以前、この事を旧知の河童に伝えた事がありました。かねてからキュウリ以外のものを口にしない彼の健康を案じての事でした。
『知ってる』
知っているのなら何故?と私は詰め寄ります。彼は私の手からキュウリをひったくってこう続けたんです。
『毒を食らわば、皿まで』
お前が、それを言うのか。あの日の私は腹を抱えて笑ったものです。最後のキュウリを口に放り込んだ時、その時の彼のはにかむような笑みを私は思い出しました。
きゅうりには―――身体を冷やす効果がある。 be cool. 何より、美味い。and hot!
東京の河童は絶滅したかもしれない、それも一つの真実です。けれども東京の私はまだ絶滅していない。生きてる。今ここにいる。それも、確かな真実でした。私はまだ何も始まっていない。
公園の歯医者の看板に銛を叩きつけると、銛の穂先は容易に看板を貫きました。
なぁんだ、ここも海と変わらないじゃないか。
私はそう思いました。この時すでに心の改革は始まっていたんです。
心の改革と気功~
東京でのリャン先生との出会いは私の人生観を根底から揺るがすものでした。皆さんにまず言っておきたい事は、気功法とは決して難しい方法ではないという事です。動作も簡単なやさしい健康法です。そして、自分に合った、自分の好きな方法を毎日繰り返し続ける事によって、必ず心と身体の両方にいい変化をもたらします。
その昔の中国では、皇帝も詩人もお医者さんも仏教の御坊さんも儒教の孔子さんも道教の仙人もみ~んな気功法を利用していました。
毛沢東の時代になってしばらく社会の表面から消えましたが、その毛沢東自身は気功法を実践して長生きをしました。
気とはつまり命のことです。ですからそれは様々な表われ方をします。寿命の長い人、短い人、気の強い人、弱い人、病気になる人、ならない人、いい人生をおくる人、そうでない人、人の生き方はまったく個人によってさまざまです。
そのさまざまなことの中に、全て気が関係しているとしたら、どうでしょうか?運の良い人、悪い人、そういう事の中にも気が関係してくるんです。
気の事を良く知ると、そういう様々な行いがすべて気、つまり生命エネルギーを使って行われていることが分かってきます。雑念や心配事に気を遣うと、それだけ楽しみの為に使う気の量は減っていきます。
このブログでは私を通じて、リャン先生が先人達から学びそして洗練してきた中国気功法の最新技術をお伝えしていきます。
最後に、気とは命のエネルギーであり、そしてそれは地球からお借りしているものだという事を考えてみて下さい。
気とは生命のエネルギー、それでは。
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