今回はTRPGについての考えを幾つかまとめておきたいと思う。
【人数に関して】 これに関しては先日、とあるセッション後の友人との会話が発端になっている。自分はTRPGをやる人数の理想はGM含めて5人が理想的だと考えている。プレイ中、PLが三人だと少し物足りなく感じ、逆に五人以上だとそれぞれのキャラクターへの掘り下げが希薄になってしまうように思えるからだ。特にプレイヤーが多い場合は活躍できずに戦闘が終わってしまう、最悪、何か行動を起こす前に事件が解決し、セッションが終わってしまうなんて事さえあり得る。
特にシーン制を利用したFEAR製のゲームシステムでは、こういった多人数セッションで収まりが悪く感じる事が多いのではないだろうか?
それに加えて、この話の発端となった友人の発言を併せて記載する。
『人数が6人以上になると会話が割れてしまう』 これは彼曰くTRPGに限った話ではなく、ファミレスのテーブルでのちょっとした雑談やカラオケ部屋、人数が一定数を越えると自然とそうなるという。言われてみれば、なるほどその通りだと気が付く。
誰しも思い当たる節があるだろう。
我々の会話は六人を越えると自然と分裂する。発言している者を後目に話を脱線させる者、積極的に議論を交わす者、秘密の会話を交わす女子、鼻糞をほじる男子、ちくわ大明神、話をそもそも聞かない者、話を聞いているだけの者。人数が増えれば増えるほど様々な様相を垣間見せる。今の誰だ。
この事を考察するに、恐らくごく一般的な人間が、何の技術も準備もなく話題を掌握出来る人数は5人以下なのかもしれない。この数は物理的位置関係や発言者の権威、カリスマ容姿etcで上下するように思われる。
これが人間が本来持っている群れを分化させる性質の一つと考えると中々感慨深いものがある。だがこれ自体は今回のテーマではない。
《セッション中の脱線行動について》 セッション中、他のプレイヤーのシーンが長引くとプレイヤーは度々プレイを逸脱した行動をとるようになる。
悪質なもので言えば《携帯をいじり始める》《漫画読み始める》《寝る》などがある。シナリオがよほど退屈なのか、セッションが滞っているのか体調が悪いのか、どれをとってもあまり気分の良いものではないが、その性質が分かり易く注意がし易い為、対処もしやすいだろう。
問題はグレーゾーンなものだ。《ルールブック熟読》《絵を描いている》などが挙げられるだろう。
GMからして理想的なプレイスタイルを挙げるならば、自身の場面ではなくてもシーンに参加して貰いたいと思ってしまうものだ。例えばNPCとして背景を演じたり、外野としてシーンプレイヤーと一緒に謎や疑問にあたってもらう等だ。
なんにせよ、外側に居られると冷めてしまう。
だが、ルールブックの熟読に関してはプレイとして必ず必要になる部分であるし、イラストに関して言えばそれ自体がセッションを彩る素晴らしいものだ。これらは別に外側にいるという訳ではなく、むしろ内側を盛り上げる要素だ。
では何が問題なのか。
人数が一定を越えるとなまじセッションと無関係とは言えない行動である為に、容易に《ルール》や《イラスト》に関した雑談が起きてしまうのだ。
これがシーンプレイヤー達のロールプレイを阻害する。これは物語全体を萎えさせる問題だ。
【そもそもロールプレイとは】 ロールプレイ、すなわち演じるという行為は往々にして他者に向けて発信するものだ。
そしてこれこそがある意味TRPGの肝とも言える要素だ。演技を含めた行動に対する自由度、これらを許容するのはルールと、そして周りのGM、プレイヤー達だ。
誰もいない空間で誰も意識せず行う演技はロールプレイではなく、独り言やそれに類するものに分類される事だろう。周りの人間が演じる者のロールを受け取り、反応し、返す、この繰り返しでTRPGは成立するのだ。
雑談が盛り上がり、聞いている者がGMしか居ない場面でロールプレイを行うのは、甚だ苦痛だろう。
誰かのロールプレイに反応し、演出を盛り上げていく、そうやって自分達一人一人が意識して、
所謂TRPGをやる雰囲気を作り出していく、その積み重ねがセッションを、冒険の舞台や非日常を疑似体験出来る、胸を躍る時間へと昇華させるではないだろうか?
先日の私の参加したダブルクロスでは、プレイヤーの攻撃描写演出時に他のプレイヤーが絵の話題で盛り上がり聞いていないという一場面があった。傍から見ていても少し哀しい状況である。
目と耳を傾ける事は、それだけでセッションを盛り上げる要素なのだ。
【総括として】 TRPGで真剣にロールプレイするという事は案外難しいものである。ごっこ遊びに真面目に打ち込むのは恥ずかしい、ともすればギャグや斜に構えたロールプレイは簡単であるし、笑いもとり易い。それ故に、NPCの死や絶望に対して自然に憤り、悲しむ事の出来る卓はそれだけで財産なのだ。真剣にロールプレイが行えればTRPGはそれ相応の楽しさを我々に与えてくれるだろう。
それはギャグやデータ面での組み立てを越えた、物語の世界に没入するという楽しさだ。
我々がただの幼い一人であった頃に夢想した夢と冒険の世界、TRPGという鍵を使えば我々はまだその場所にゆくことも出来るだろう。
これは客観的にみればごっこ遊びだ。
脚本がある。シナリオがある。
だが、プロレスや演劇、映画達がそうであるように、真剣に打ち込めばそれは一つの形を残すだろう。
どのようなモノであれ、真剣に打ち込む時間はあらゆる意味で有意義だ。そしてTRPGは真剣に遊ぶ価値のある媒体だと、私は思う。
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